653611 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

虹色の部屋・

虹色の部屋・

RAINBOWについて

 リッチーブラックモアは、ディープパープルとして、黒い羊をレコーディングしたがっていたが、それをメンバーから拒否され、仕方なく、ソロシングルを作ることになった。そして、リッチーと一緒にレコーディングをしたのが、若き日のロニー・ジェームス・ディオと、そして彼が率いるエルフという無名のバンドであった。そのシングルは残念ながら発売されなかった。
 そして、リッチーは音楽的な意見の食い違いからDEEP PURPLEを脱退をした。
 そして、中世の音楽と、ロックンロールを演奏できる理想的なバンドである。RAINBOWを結成をしたのであった。
  パワー不足だったエルフのメンバーに満足できないリッチーは、ロニーだけを残し、エルフをくびにして、代わりにRAINBOWのメンバーとなったのが、ジミー・ベインに、トニー・カレイに、そして、コージー・パウエルだった。ロニーとの音楽的な志向も同じだった。中世の時代をテーマにしたハードロック・・・・そして、そのときから、リッチー・ブラックモアに、ロニー・ジェームス・ディオに、コージー・パウエルという強力なトライアングルができた。そして、本物の様式美の世界を表現する最高峰のバンドがそのときにできあがったのであった。
 そして、日本公演の時に札幌で悼むべき事故がありましたよね。女子大生が興奮したファンの下敷きになり亡くなるという・・・・・彼女の死を知ってメンバーたちとファンの人たちは悲しみを感じてしまったと思います。しかし、彼らのファン以外の人たちは、あの事故で悪名高きRAINBOWと印象を持ったと思います。
 そして、メンバーが代わり、ベースには、ボブ・ディズリーが参加をして、3枚目のアルバムを制作しました。このアルバムは、アメリカの市場を開拓をしようとさまざまな工夫がなされています。それは、ラジオを意識をして短い曲を入れて、勝負をかけたけど、・・・・・・・・
 やはり、このメロディーには、アメリカには通用をしてないみたいでして、アメリカ関係の市場は、やはりラブソングとか単調なロックン・ロールの類が受けている時代だものね。
 そして音楽的な意見の食い違いから、ロニーは脱退をした(リッチーの言うことには、金遣いが荒い・・・・という言葉だけど、ロニーはアメリカ市場を中心にして歌詞が、ラブソングが多くなったことが不満という意見でした)そして、代わりに入ったのが、まるで、ジェームス・ディーンのそっくりさん???グラハム・ボネットと、ベースにはリッチーの旧友である。ロジャー・グローバーと、ドン・エイリーが加入をしました。本当に初期のRAINBOWの音と違って本当にノリノリのハードなロックですよね。歌詞の内容も一般の人たちには馴染みやすいし・・ハードロックを聴くひとつの切っ掛けは、このアルバムであると私はそう感じる。
そして、リッチーとの音楽的な意見の食い違いによって、コージーが、自らRAINBOW去ることを決めた。そして、彼のことを慕っているグラハム・ボネットも脱退をした。そして、新しいバンドには、これからのRAINBOWの運命の鍵を握っているとされるジョー・リン・ターナーの参加と、そしてドラムスのは、ボブ・ロンディネリが参加をして新しい音を形成をしたのであった。
ストリート・オブ・ドリームスの時には、ボブは脱退をして、代わりにチャック・バーギーが参加をしました。その当時のメンバーの写真を見て、幾分か見るに耐えられるましなルックスだと感じました。(笑)音の方も、アメリカを意識をしたポップで、ノリノリで、ハードロックが苦手な女の子でも耐えられる音だと思えます。そして、デイブの音楽的な志向が前面に押し出されてより、クラシカルに表現されていると思える。
 RAINBOWの解散後に、リッチー・ブラックモアは再び、DEEP PURPLEに戻り、長年の旧友とハードロックを演奏を続けてきたが、音楽的な意見の食い違いなどで、リッチーは再び脱退・・そのときのマスメディアは、本当に冷淡であった。リッチーの普通ではない感覚、そして常識で疑ってしまう危行の持ち主のために、彼を弁護するマスメディアは皆無に等しい、リッチーはこれがあるから信じてるというファンの空しい叫び・・・リッチーは裏切り者なのか???そのときに、新たにまた、1995年にRAINBOWを再び結成をするのであった。そして、素晴らしい音を聴かせてくれた・・・・しかし、それは永遠に続くものと自分は思っていたが、やはり、はかない夢だった。・・・・・・・・



© Rakuten Group, Inc.